もくじ
家族の大切さ
先日、長女に難しい質問をされました。
「ママ、家族の中で誰が一番好き?」
「みんな一番だしみんな大好きで大切だから決められない」と答えました。
長女の方が先産まれたので次女より好き歴は長いですし、刻んできた思い出やら愛情の深さとか細かくいわれると答えに困るというやつですよね。
でも、そこに順位はないわけです。
時にどちらかに優劣をつけてしまったり、姉だから我慢してもらったり、妹だから誤魔化したりするものだから、長女のことを一番っていって欲しかったのかなとふと思いました。
親のありがたみ
親になって初めて親の有難みがわかったわけではないけれど、親にならないとわからないことが多いのは事実だと思います。
ママになってみて気づいた、ママの大変さや親としての在り方の難しさを知ったり、大人って意外と大人じゃないなと思ったり。
自分は、親のようにできているのかな、と不安に思うことも多々あります。
子どものころ、叱られて「ママがいなくなったらどうするの?!」と言われたことに対して「ゴハン困る」という、目先の心配しかできなかったこともありました。
子どもですから当然っちゃ当然だけれど、できれば他の困ることをあげてほしいなというママの願いがありますね。
ゴハンや洗濯の他になんかあるでしょう!?との問いに、きっと淋しいと思うからいなくならないでと想像もつかないのに想像して言った思い出があり、将来ゴハン以外のセリフを言ってもらえるような母親になりたいなと先日母と話しました。
子のありがたみ
親のありがたみを大人になり、親になりと重ねて日々実感しながら、親となって子に対してもいろんな思いを感じます。
私は忘れん坊のおっちょこちょい、ママ失格といわれてしまいそうな母なのに、それでもママと呼んでくれる娘たちに、逆に感謝しているのです。
この子たちがママと呼んでくれるから、私はママなのだなと実感し、だからこそ自分の母をいくつになってもお母さんと呼ぶことにとても意味があるような気がしています。
母も私と同じように娘に対して思っているのかしら、そう信じているのです。
母・子の感謝の連鎖
何かあったらすぐ相談できて、無条件に一番の味方でいてくれる母は私にとってかけがえのない存在です。
娘にとってそんなママになれたらいいなと思います。
子によって親は親になる、日々母として成長している(はず)、母の無償の愛は心の支えとなり、私は周りの人たちのおかげで「私」として今存在しているのと気づいて、また親にも子にも感謝です。
娘のふとした一言で、振り返る時間ができました。
皆さんもお子さんの言葉ではっと気づくときありませんか。
反省の時もあり、感謝の時もあり、純粋が故の子どもの言葉の端々が自分の歩んだ軌跡にぐさーっと刺さるときがありますよね。
子どもの話は侮れないなと今回私も改めて感じた一コマでした。