お母さんになって気になる「子供から見たお母さんとの大切な時間」
今回は大学生・山内くんに聞いてみました。
(趣味のカメラを撮る山内くん)
どこにでもいるような至って平凡な学生です。
私は現在20歳の大学生です。
大阪の大学に通い居酒屋でバイトをしています。
家族は父親と祖父と弟2人で共に一軒家に暮らして、生まれは神戸です。
四年生の時に父親の仕事の都合で千葉に引っ越しましたが、高校生のときにまた神戸に戻り、今も神戸で暮らしています。
いわばどこにでもいるような至って平凡な学生です。
私が思う母親との大切な時間は2つあります。それは祖母との暮らしの中と実の母親について考えたときに感じました。
ここでは私が思う私なりの母親との大切な時間について書こうと思います。
「祖母との暮らし」
私は母親と暮らした時間がない。
母親は私が生まれて8日後に亡くなった。
なので生まれてこの方母親と暮らした記憶が全くない。
(山内くんの小さい頃、果物屋さんで)
代わりに私は父親方の祖母に育てられた。
父親は仕事で忙しい中でもよく面倒を見てくれたが主に育ててくれたのは祖母だった。
母親が亡くなっているということは度々聞かされてはいたがそれについて特に何か思うこともなく暮らしていた。
祖父と祖母は果物屋を営んでいて、私はいつも保育所が終われば店に行き、商店街の近所の店のおじさんやおばさんに可愛がられ育った。
(山内くんの小さい頃、果物屋さんで)
母親の代わりのような存在の人たちはたくさんいた。
隣の総菜屋のおじさんは色々な話をしてくれたし、向かいの豆腐屋のおばさんは顔を合わせるたびに元気?と声をかけてくれた。
私にとって母親はいなくとも母親の代わりのような存在の人たちはたくさんいた。
(image 画像)
そして祖母はその中でも特別な存在だった。
祖母とは4年生まで一緒に暮らしていた。
祖母はとても優しくいつも私のことを気にかけてくれた。
忙しい時も体調が悪い時にも辛そうな顔は一つせず、いつも家事から店の手伝いまで一生懸命行っていた。
そんな生活の中で学んだ私にとって祖母との大切な時間は夕食の時間である。
寂しいと思ったことは一度もなかった。
祖父がまだ働いていたため二人食べることが多かったが寂しいと思ったことは一度もなかった。
いろいろな話をした。その日の出来事の話。
苦労して3人の子供を育てた話。
そして私の知らない亡くなった母親についての話。
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たくさん話をしてくれたことを覚えている。
特に私の生い立ちに関しての話をよくしてくれた。
私が父になったときもいろいろな話を食卓で話したい。
色々な人が生まれてから支えてくれたということがよく分かった。
たくさんの支えから生きていることを知ったので周りに感謝して生きていかなければいかなければならないと思った。
4年生の時に祖母は亡くなったがわたしは彼女との会話の時間の中で生きていくうえで大切なことをたくさん学んだ。
夕食の時間は家族が集まる場でもあるしとても大切な時間であると思う。
なので私が父になったときもいろいろな話を食卓で話したい。
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実の母親
私が実の母親について深く考えたのは、高校二年生の夏休みだった。
その頃父親が再婚相手と離婚し、わたしは小学校四年生まで住んでいた父親の実家で祖父と父と暮らしていた。
実の母親について小さい頃はよく話を聞いていたが、父が再婚してからはその話が出ることはなくなった。
だが離婚を機に父と住むことになり母親についての話を聞くことが多くなった。
ある日父は物置部屋にあったダンボールを2つ持ってきた。
そこには母親が横浜で生まれてから結婚するまでの写真や日記、手紙などがたくさん入っていた。
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母親の人生ついて
それらはこれまで知らなかった自分の母親の人生ついてたくさんのことを教えてくれた。
横浜で長女として生まれ、両親に愛されて育ち、仲のいい4人組の友達と学生時代を過ごし、大学に入り、就職をし、そして父親と結婚をした。
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私がそこには映っていた。
その写真や日記を見た時最初どこか知らない人の人生を見ているようだった。
自分の母親のことだとは実感が沸かなかった。
しかし写真を見ていくうちにだんだん病院での写真が多くなり、そして私が生まれたときの写真がアルバムには入っていた。
1000gで生まれた私がそこには映っていた。
(image画像)
私はこの人から生まれたんだ
あ、私はこの人から生まれたんだ。と思った。
自分はこの人から生まれた命でこんな人生を送ってきた人の子供なのかと分かったときに自分にも母親がいることを実感した。
いままで遠い存在だった母親を近くに感じたと同時にもういないという事実がのしかかってきた。
なんで先に死ぬんだよ。
会いたかった。という思いが止まらなかった。
母は妊娠してからのやることをリストにしていたり名前を考えたりしているノートがあった。
(image画像)
生まれる前から私のことを考えてくれていた。
体がつらい中でも生まれてくる子供のことをずっと考えていたことを分かった。
確かに母親の存在を感じることができた。
私には母親がいないがこの時確かに母親の存在を感じることができた。
母親の愛を感じることができたように思う。
お互いを思いやる時間
母親と話したことも暮らしたこともない私が大事だと思う母親との時間は、お互いを思いやる時間だと思う。
離れていても喧嘩していてもお互いのことを考えている時間が大事だと思う。
(母親が花が好きなので自分が撮った花の写真を添付しました、と送ってくれた写真。)
不意をつかれて泣いてしまった。
今回大学の授業で株式会社ルカコの掲載されている「ミライ図鑑」を使いとても興味を持った!
見学に行かせてください!
弊社に来社いただいた3人の学生さん。
その中でも一番ことば数がいちばん少なく静かな印象だったけれど、真剣に私の話を聞いてくれていたのが彼だった。
何か一緒にできればいいね。
そして提案した企画がこの
私が知りたい事。
世の中の今大変なお母さんが知りたい事。
「子供からみたお母さんとの大切な時間」について書いてもらって
記事にすることだった。
山内くんからの不意のメール。
”実は僕は母親とは死別して一緒に暮らした時間がないので他の人の話も聞いて記事を作りたいと思っています。
ですが母親との時間がなかったからこそ違う視点で「母親との大切な時間」について書けることがあるとも思います。
なので知人や友人に聞いた話と僕自身の考えや思いを記事にまとめたいと思います。
そのような作り方で記事を作成しようと思っているのですがどうでしょうか?”
自分勝手な先入観。
私はなんて失礼な企画をしたんだと思った。
「子供からみたお母さんとの大切な時間」というお題。
母親はいるもんだ、お母さんとの大切な時間はあるもんだと勝手な私の先入観だった。
ただ彼は正面から素直に上記のような質問をくれた。
あなたの立場だからわかることを素直に、聞きたい。
私は返事を書きました。
”それってすっごく私たちママが知りたい逆の気付きがあるかもしれません。
もし私が死んでしまったら、、、
逆にお母さんがいないことでこういうときにこう思ったとか
逆に育ってきたなかで気がついたこと
素直に書いてくれたら嬉しいです。
知人や友人に聞いた話と山内くん自身の考えや思い、いいですね。
ものすごく聞きたい。
母親としていろいろ。
大事な事は山内くんが素直に書く事。
以上!他は条件なしです!
それが一番共感を呼ぶし、私も含めお母さんが知りたいこと。うん。
ありがとう!”
素直に思ったことを文字に起こしていきたいと思います!
そうして送ってくれたのが上の記事。
私はあまりに衝撃で私も素直に感想を送りました。
救われました。
”私は3年前に起業したのは子供と一緒にいる時間を大切にしながらも働きたい
自分の困り事はほかのママの困り事でもあるから少しでも助けたい、喜んでもらいたいと起業しました。
最初は子供が小さかったので横で遊ばせながら仕事をしていたのに、3年たった今。
子供は5歳となり、なかなか一緒に遊ぶ時間も一緒に夕食をとる時間も減ってきていました。
一緒にいたい気持ちと私がやりたいことの時間のはざまで。
ごめんね、ごめんねと思う気持ちがいつもどこかにありました。
(子供たちの写真)
山内さんのお話を聞いてそれはもう衝撃で、そして救われました。
> お互いを思いやる時間だと思う。
> 離れていても喧嘩していてもお互いのことを考えている時間が大事だと思う。
この言葉で本当に救われたと同時に、もっとお互いの事を考えている時間を大切にしなければと気付くことができました。
たくさんのママたちに発信したいです。”
今ある時間はあたりまえじゃない。 お互いのことを考えている時間が大事だと思う。
お互いを思いやる時間。
なかなか今あることが普通になってしまう。
先入観で母親がいることがあたりまえになってしまう。
そうじゃない。
大切なのは時間自体じゃない。
そこに人がいて、想いがある。
お互いを思いやる時間が大切なのだと。
すごくいい気付きを得られたのでよかったらシェアいただき、この気付きを少しでもママたちに知ってもらえたら嬉しいです。